米沢牛について 

中興の祖、上杉鷹山は藩校を開校し、その名を興譲館とした。その興譲館で、明治四年から八年までの間、教鞭を執ったチャールス・ヘンリー・ダラス氏が、故郷を懐かしんで牛肉を食べたのが食用としての米沢牛のはじまりである。その味わいに痛く感動したダラス氏は、任期を終え、米沢をはなれる際に一頭の牛を横浜へ連れていった。友人たちは、その牛肉の旨さを口々にほめそやし、それがいつからか「米沢牛」が全国に広がるきっかけとなった。

開店50周年を迎えた老舗

 令和3年6月、創業から50周年を迎えた。長年、店主がこだわりぬいた米沢牛・米沢豚等の逸品は、同店のレストランでも提供されている。極上ステーキ、すき焼き、とんかつが旨い。週末になると店には、本物の米沢牛の味覚を求めて県内外からの予約客で賑わっている。また、お女将の料理する地元のお米や山菜、伝統野菜、お新香等の小鉢や果物も大好評で、梅津牛肉店の極上肉をさらに引き立てている。

米沢牛とは

飼育者は、置賜三市五町に居住し米沢牛銘柄推進協議会が認定した者で、登録された牛舎での飼育期間が最も長いものとする。肉牛の種類は、黒毛和種の未経産雌牛とする。(中略)生後月齢32ヶ月以上のもので社団法人日本食肉格付協会が定める3等級以上の外観並びに肉質及び脂質が優れている枝肉とする。

米沢牛の始まり

中興の祖、上杉鷹山の藩校、興譲館で、明治四年から八年までの間、教鞭を執ったチャールス・ヘンリー・ダラス氏が、故郷を懐かしんで牛肉を食べたのが食用としての米沢牛のはじまり。極上の味わいに感動したダラス氏は任期を終えた際に一頭の牛を横浜へ連れていった。友人たちは、その旨さを口々にほめ、それが「米沢牛」が全国に広がることとなった。しかし、現在でも飼育頭数は少なく、日本三大和牛の中でも、より希少性は高い。